京都旅行の最終日。
朝、目を覚ましたときに、「今日で終わりなんだな」と、少しだけ現実に戻る感覚があった。
予定としては、このあと東寺にも立ち寄るつもりだった。
地図を見れば、行けない距離じゃない。
時間も、まだある。
でもその朝は、気持ちより先に、身体が正直だった。
この日は、醍醐寺から始まった
最終日のはじまりは、醍醐寺。
境内は広くて、静かで、歩くだけで心がほどけていくような場所だった。
ゆっくり歩いて、立ち止まって、写真を撮るというより、景色を眺める時間。
気づけば、思っていたよりずっと歩いていた。
東本願寺で、少し深呼吸をする
次に向かったのは、東本願寺。門をくぐると、空気が変わる。
ここでは観光、というより「休ませてもらう」という感覚に近かった。
圧巻の迫力の本堂をゆっくり眺め、最終日の京都はにぎやかさよりこういう静けさのほうが、心に合っていると感じた。
三十三間堂を出たころ、もう満たされていた
三十三間堂を見終えたころ時計を見ると、まだ昼前。
お昼ごはんを食べて時間だけ見れば、このあともう一か所、行けなくもない。
でもそのとき、足の裏にじんわりとした疲れと、「もう十分だな」という気持ちがあった。
地図には東寺、でも今日は違った
スマホを開くと、そこにはちゃんと東寺があった。
行こうと思えば、行ける。
でも、不思議と気持ちが動かなかった。
旅行最終日って、楽しかった分だけ、疲れも後からやってくる。
無理をすれば行けるけれど、それが“いい時間”になるかは、別だった。
東寺に行くのをやめた理由
人が多いかもしれないこと。
歩く距離が、まだ残っていること。
そして何より、「今日はもう、受け取りきった」という感覚。
東寺は、また来ればいい。
そう思えたのは、この旅が、ちゃんと心に残っていたからだと思う。
行かなかったことで、旅がやさしく終わった
予定をひとつ手放しただけで、帰り道が、少し穏やかになった。
「行けなかった」じゃなくて、「今日は選ばなかった」。
そう思えると、旅の終わりが、ちゃんと自分のものになる。
自分を整えるための「ひとり時間」にふさわしい場所をご紹介

京都は、全部行かなくてもいい
京都は、全部回らなくても、ちゃんと満たされる街。
立ち止まることも、引き返すことも、その日の自分を大切にする選択。
東寺に行かなかった最終日も、今では、静かに思い出せる一日になっている。
疲れた身体をゆっくり癒す、そんな宿をご紹介しています。

京都は少し立ち止まるくらいが、ちょうどいい。


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